もっと気楽に記事を書こう
はじめにこの記事の題名とは全く関係ないのですが、この記事を書こうと思った理由を少し書きたいと思います。
最近は新型コロナの影響で、カメラサークルも休止していてブログの更新も減っています。写真を撮りに行かなくてもレタッチのことやカメラの基礎などの記事も書けるし、カメラ意外にも記事にできそうなネタはたくさんあるのだけれど、記事を書くとなると画像を用意したり、ある程度その知識に対して確認のために調べたり、実践してみたりと時間がかかってしまうので、どうして億劫になてしまって更新が少なくなってしまっています(笑)
そこで誰の役にも立たないですが、自分の趣味でやっているブログなので、もっと気楽に日記のように自分の思ったことも記事にしてみようと思います。
こういう記事は誰の役に立たないし、アフィリエイトやアクセス数を稼ぐためにはマイナスという意見も多いですが、そもそも自分の能力ではアフィリエイトやアクセス数をこれ以上増やすのは困難だと考えていますので、もっと適当に自由に自分の日記のように書いていこうかと考えています(笑)
私はコミュニケーション能力が低い
私は自分のコミュニケーション能力が低いと思っています。理由はいくつかありますが、まず一般的な人より頭の回転が遅いです(笑)会話のスピードについていけないのです(笑)
だから電話より、メールの方が好きです。メールのように使うラインはいいですが、リアルの会話のようなスピードでやり取りをするラインは苦手です(笑)
明らかな事実ではい、いいえで答えられるような質問なら、もちろんすぐ答えることができるですが、通常の会話でそういったものは多くないです。
通常の会話では曖昧であり、「こう考えればこうだけど、別の考えならばこうだよな」ということが多いです。相手の表情や声色から冗談なのか、そうでないのか、どういった意図で言っているのかなど読み取らなければいけないです。
相手の意図、言葉の内容などを読み取った上で、さらに今度は自分の発言を考えなくていけないです。相手に誤解のないように時にはわかりやすく簡潔に、時には面白おかしく返答するわけです。
これを通常の会話のスピードで行うことは私の頭の回転スピードではとても無理です(笑)もちろんメールであってもいつも完璧に誤解なく、面白い返答ができるわけではないですが、それでも考える時間が圧倒的に多いのでリアルの会話よりは多少まともな返答ができます。
お笑い芸人さんの頭の回転はすごい
バラエティ番組がどのようにして作られているのか私は知りません。かなりきっちり台本ができていて、セリフもほぼ決められていてみんなでコントのように演じているなら別ですが、そうではなく大まかにしか決められていないのなら、フリートークやMCで面白い芸人さんの頭の回転はものすごいなと思います。
たまに面白いなら別ですが、人気芸人さんになってくると毎回面白いです。ゲストを中心に話す番組では、場合によっては話すのが苦手なゲストもいるだろうし、通常ならそれほどエピーソードしかないときもあると思います。そんな中でも面白さを見つけて面白くするというのは、とても頭が良くて、頭の回転が速くないとできないことだと思います。
一般的に頭がいいというと勉強ができる、いい大学を出ている、テストで100点取れるなどと学校の勉強関係を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、私は一般的な学校のテストで100点取れるより、毎回面白い会話のできる芸人さんのほうが頭がいいと思います。
「一般的な学校のテスト」と限定した理由は数学オリンピックとかになるとまた話は別だと思います(笑)数学オリンピックで100点取れるとなると先生の話をよく聞いている、塾に通っていると言ったレベルではとても無理です(笑)よほど頭が良いいか、数学を心から愛しる、あるいはその両方でないと無理だと思います。
よく喋る人がコミュニケーション能力が高いのか?
私の知人によく喋る方がいます。ただ私はその方がコミュニケーション能力高いとは思いません。私と会話する時、その方は明らかに機嫌を取ろうとしてきます(笑)何でもないことを大げさに褒めたり、何でもないことを不自然に持ち上げたりします。
これは私の想像ですが、その知人の方は営業の仕事の経験があるためそれが普段の会話でも染み付いているのではないかと思います。
自分の意見を曲げて私に無理に合わせたりもするので、改めてその方の意見を聞くと「前に言っていた事と少し矛盾していない?」と思うことが多いです。
私は大げさにわざとらしく褒められても「機嫌を取るために言っているのだな」と思えてしまうのであまりいい印象はないし、何でも同調してあとで矛盾していたら信用できないなと思います。そういう方とはプライベートであまり話したくないなと思ってしまいます。
結果、コミュニケーション能力が高いとは言えないのではないかと思います。
相手によって変えることは悪いことなのか?
「あの人は人によって態度が違う」というと悪い事の方で使われることが多いと思います。たしかに「人によって偉そうな態度をとる」のはイメージよくないですが、「人によって変える」事自体は私はむしろいいことだと思います。
極端な例を上げるなら、20代の人が5歳の子供と60歳の大人と同じ話し方をすることがいいことでしょうか?初対面の方と自分の恋人と同じように会話することがいいことでしょうか?
私は相手の気持ちやその場の雰囲気をいち早く汲み取って、より適切な態度、発言を選択できることがコミュニケーション能力が高いというのだと思います。
少し下品なネタが好きな方の前なら、下品なネタを使えることもコミュニケーション能力としてプラスだと思いますが、そういった下品なネタが嫌いな方の前で使うならとてもコミュニケーションが高いとは言えないと思います。
コミュニケーション能力とは単純に発言できるか、できないかだけでなく、相手の気持ちを汲み取る力でもあると思います。相手の気持を考えない人はいくら話せても相手のより深く、多くの意見を引き出すことはできないのではないかと思います。
当前のことのように思う人も多いかもしれませんが、私の身の回りにはとにかく喋れればコミュニケーション能力が高いと考えている方が多いように思います。あるいはコミュニケーション能力が高いとは思っていないかもしれませんが、とにかく褒めれば、相手が喜ぶと思っている方も多いです。
もちろんとにかく褒められれば嬉しい人もいますし、とにかく褒められて嬉しいと思うことが悪いとも思いません。ただそうでない人もいると気づいていないなら、コミュニケーションが高いとは言えないと思います。
コミュニケーション能力は鍛えられる?
私はそもそもコミュニケーション能力どうこう以前に声が小さいです(笑)元々小さい上に人と喋るのが苦手という意識があるため、自然と出来るだけ喋らない生活になっていくので、おそらく声を出す機能が衰えてさらに小さくなったのだと思います(笑)
声が小さいと聞き返されたりすることが多くなり、余計苦手意識が出て、今度は声を出すこと自体嫌になったり、緊張したりします。そうなると私はただでさえ頭の回転が遅いのにさらに頭が回転しなくなるので、余計に会話しづらくなるという泥沼にハマります(笑)
でも逆にある程度は鍛えることもできると思います。上でも書いたようにコミュニケーション能力は頭の回転や喋れるかということだけでなく、相手の気持を汲み取る力もコミュニケーション能力に必要な要素だと思うので、喋るのが苦手でも相手の気持ちを考えて、頑張って喋ることで少しずつコミュニケーション能力が鍛えられるのではないかなと思います。
実際に会話しているときだけがコミュニケーション能力ではない
うまく会話が進まなかったり、嫌な思いや相手に嫌な思いをさせてしまうこともあるかもしれません。かと言って喋ることを避けていると私のように段々と衰えて、さらにうまく行かないことが多くなってしまうように思います。
実際に会話しているときに相手の気持ちをよく考えて難しい場合は会話の後に「なんでうまく会話できなかったのだろう?相手はどういう気持ちだったのだろう?」と時間のあるときにゆっくり考えてみたり、会話の前に「こんな話をしたらどう思うかな?どういう返答されるかな?」と復習や予習をすることも有効だと思います。